2013年01月31日

結果にこだわることに、こだわるな!

はがしみる(本名 志賀美春)です。


もうちょっと、主体と依存を考えてみましょう。


昨日の話のポイントは、

主語が私である
自分の自分への語りかけ。


これが、主体的である、

ということ。



主語が他人である
自分の自分への語りかけ。


これが、依存的である、

ということ。


です。



この考え方は、メチャクチャ重要です。




主体的であれば、不幸だと思っていたものが、

前進・改善するための “単なる課題”

になってしまうのです。



では。


応用編です。


「勝つ」・・・


という概念。



これは、依存でしょうか?

主体でしょうか?



主体だ、と答えた方。


どうして主体だと考えましたか?



たとえば、柔道の試合で勝つ・・・

という考えを分析してみましょう。



主語を私にすると。

「私が、A君に、来週の柔道の試合で勝つ」

とします。


これは、主体と言えなくはないです。


ただ、結果にフォーカスしすぎると、
話しは変わってきます。


というのは。


「試合に勝つ、が私が来週の試合ですることだ」

とすると、


「試合に勝つ」が主語です。


ということは、試合に勝つ、
以外は思い通りにならない不幸な結果となってしまいます。

(もちろん、これは例ですので、
 このこと自体の幸不幸の感覚は、個人でさまざまです)


この「勝つ」という概念。


これは、


相手が自分よりも弱いか、

相手がミスをした・・・

というときにもたらされます。



自分が、どんなに努力して頑張って練習したとしても、
相手が体格も上回り、もっと努力をしていたとしたら・・・

自分の力では掴み取ることができません。


反対に。


「負けない」・・・という概念。


これは、主体です。


なぜか?


相手が明らかに強ければ、勝とうとしたら難しいですが、


「負けない」は自分が主体で可能だからです。

(もちろん、何よりも負けないことが重要な結果である
 という仮定での話ですよ)


その時には、闘わない、とか、仲間になる、とか。


選択肢が広がりますね。



このように、勝ち負けにこだわるために、


過度なハードワークを自らしたり、

そう指導したり・・・ということが多いでしょう。



もちろん、勝つことが何のために重要なのか?

そうでないことが、どうなのか?


という自分自身の理由の問いかけは、

何よりも大切で、それこそが主体を創り出すのです。


だから。


「勝たなければいけないから、勝つ」

なんて。



依存の最たるものです。


ということで、また明日お会いしましょう。


今日もお読みいただき、ありがとうございました。

posted by はがしみる at 23:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 成功 | 更新情報をチェックする

2013年01月30日

主語を「私」で考えよう

はがしみる(本名 志賀美春)です。


今日は、主体と依存をもっと考えていきたい
と思います。


この世の中にある不幸は、



「誰かが何かをする」



「誰かが何かをしない」


と言うことによって創り出されています。





あなたが今うまく行かない、

と思って不幸に感じていること・・・。


上記に当てはまるはずです。



これは、なぜ不幸なのか?

それは、自分の力で不幸の解消が不可能だからです。


具体的に説明しましょう。


たとえば・・・


子どもが反抗的で、言うことも聞かず、

毎度毎度のギスギスしたやり取りに
ストレスを持っている母親・・・

についてです。


子どものために、と思って言っているのに・・・

親子の心子知らず、と言いますが、

ストレスがたまってイライラし、夫婦の関係まで悪化したりして。


・・・不幸ですね。


これは、冒頭の分類で言えば、

「誰かが何かをしない」

・・・です。


「息子が、親の言うことを聞かない」

ということです。


このような「心の中の言葉」が、
自分の不幸を定義しています。



では、この心の中の言葉を
次のように言い換えてみましょう。


「私が、息子に言うことを聞こうとするような

言い方や接し方をしていない」



どうでしょうか?



主語が、息子から私に変わっただけです。


でも、そこにある問題の所在が変わりませんか?



私が主語である。


これが、主体です。



誰か、が主語である。


これが、依存です。


主体であれば、自分が解決するカギを握っています。


今ある結果は、すべて私の責任です。




この私の責任・・・。

認めたくないのです。

多くの人が。


でも。


主体になれば、問題は自発的に行動することによって、
解決が可能となります。


しかし、誰かが変わらなければ解決しないことに
依存していると。


私が、解決不可能。


私の不幸を私が改善することができない、
という苦しーい展開になっちゃうんです!


どうですか?

なんとなく見えましたか?


もう少しだけ、明日考えてみたいと思います。


今日もお読みいただき、ありがとうございました。

posted by はがしみる at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 成功 | 更新情報をチェックする

2013年01月29日

自分の幸せくらい自分で築け!(気付け)

みがはしる です。

今日は、主体性の話をしたいと思います。


主体的であること・・・。

これって、どういうことでしょうか?

まず、以下が起こります。


簡単に言うと、
主体的であることにより、
今ある不幸は不幸ではなくなります!
以上!

って感じです。


またまた、そんな・・・。
問題が解決してもないのに、不幸が無くなるなんて。
ねぇ。


そんな風に思ったでしょう?

ここ数日書いていたこと。

忘れましたか?


あなたの認識がこの世界を創っているんです。


あなたが認識している世界は、間違いなく私とは違います。


だから、あなたの不幸は、あなたが創っているのです。


この世の中の不幸は、多くは三つのジャンルに関してです。

それは。

お金。

健康。

人間関係。

この三つ・・・。


ほとんど、この三つです。

この三つに何ら問題が無い人は、
自分を不幸とは思わないでしょう?


では、どうしてお金がないと不幸なのでしょう?

何のために、どうお金が足りないために不幸なのでしょう?

良く言う「食うために」でしょうか?


日本に限って言えば、餓死することは、
かなり難しいですね。


五体満足の体を持っていて、
餓死なんて、日本じゃ、そうそうできるもんじゃない。


では逆に、餓死しなければ幸せか?・・・


そう思う人もおれば、そう思わない人もいますね・・・。

これこそが、各自の認識がこの世界を創っている、
ということ。


餓死しなければ幸せ、という言い方を変えてみると、
「餓死しないで生きられて、ありがたい」ですね。

一方、餓死しないだけで、それだけでは不幸だ、
という言い方は要するにこうです。

「餓死しないだけなんて、周りで餓死する奴なんかいない。
そりゃー、俺以上に不幸なやつはいるかも知れないけど。
俺は十分思い通りに行ってないし、やっぱり俺は不幸だ」
とこんな感じでしょう?

この両者の差は、主体性の差です。


前者は、自分は与えらえてありがたい、という感覚です。

感謝は主体です。


なぜなら、感謝は自分発信であり、
相手に何かを求めている物ではないからです。


一方、後者は、ひとつは周りとの比較・・・。

これは、完全に依存ですね。

自分がどうでなく、
自分の幸不幸が周囲に定義されてしまうのですから。


そして、思い通りにならない、
という結果に対してのフォーカス。


自分の行動が足りないのに、与えられていないのだ、
と言う認識です。

これでは、どこまで行っても、
自分で幸せなど生み出せない・・・。

残念至極です。

と・・・。
今日は、ここまでにして、
明日もっと主体と依存を見つめましょう。

今日もお読みいただき、ありがとうございました。
posted by はがしみる at 17:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 成功 | 更新情報をチェックする
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